どう捉えるかは己次第
ポジティブにもネガティブにもなる。
1つの事例が起こった時にどう捉えられるかによって、その人の本質が見えて来る。
悲観的な対応を続ける事は、精神衛生上よくないとわかりつつも、人はそれを繰り返す。
怒りのままに行動する、感情を持った生き物だからだ。
言語を介するまでの間、力づくで何もかもを奪って来たからだ。
意味を求めようとするのが人の悪い癖だ
私を含めてこの議題に立ち向かって、危うく精神を崩壊しそうになった人もいるだろう。
ハッキリ言って、今の私は、意味を求めない様にしている。
意識していないと突然足元をすくわれそうになるが。
受け取り方の面でも、これは意味があるとか、そうした風に当初は取っていた。
自分の人生に意味を求めていた。
でも、本当は意味なんてない。
自分で自分を追い込む事に繋がる。
行った先のお店が休店日
果たして、皆はどう取るだろうか。
悪態をつくだろうか。
調べておかなかった自分を呪うだろうか。
いずれにしても、そこに意味を求めていると思う。
けれど、実際の所は、大した問題ではない。
閉まっているのか、なら他のお店に行こう。
そう簡単に捉える事が出来ないのが人間だ。
既にこういった事を言っている時点で、私もまだまだ意味に囚われていると自覚する。
気を付けて行こう。
意味を求めなくなればきっと捉え方は変わる
↑
暴走への誘惑
渋滞にて最悪
抑えてる状態
そんな感じ。
でも願う
今日こそは狙いを定め
隙間を抜けて
笑顔の彼方へ
それでいいんじゃないか?
てなわけで、今日はこの辺りで。
ほな、また。