タカボーのボッチライフ 独身男性の気ままな日常ブログ

何度も何度もやり直すタカボーの独りぼっち独身男性の気ままな日常の中で目に付いたものを毎日23時に更新していきます!

全てが嫌になっても

気付けば9月。

今月が終われば今の仕事が1年継続できたことになります。

全てが嫌になっても

命がある限りは生きてしまう事。

やらなければならない事なんて本当はないのに無理をして理由を作って生きている事。

家族とすらも連絡を取らなくなって、そして、誰からも連絡が来なくても、存在はしてしまう事。

全てが嫌になっていっています。

断捨離をしても

結局物を減らしても、別段何かが変わるわけでもなく、いかに無駄なものが多く、まだまだ処理したいと思う自分がいる事に気付きました。

意味の無い事や意味のないものにお金を使い、意味のない人間関係に時間を浪費し、消耗して生きて来た事を、改めて再度確認していく事が増えました。

断捨離をして一部のミニマリストと呼ばれる人たちは気分が変わったかもしれませんが、私は正直、それすらも無駄だったと感じています。

プライドもなくしても

攻撃的だった自分はもういなくて、人に合わせようとする自分がいて、それを俯瞰してみてしまう自分が嫌で、気持ち悪くて仕方がありません。

流されるままに、相手がどう思っていても、私はもう何も感じないし、出来るなら人と関わりたくもない。

けれど、仕事、お金、時間つぶし、この為には、気持ち悪くても続ける必要があるんだと感じています。

社畜と呼ばれていた自分よりも

今の時代、勘違いしている人がいて、時間をつぎ込めばいいと思っている人が多い気がしています。

過去の自分は、仕事に対する情熱だけは立派なもので、誰よりも会社を愛していたと自分では思えるくらいに、心血を注ぎこんでいました。

今、同じように働いているつもりになっている人を見て思うのは、ただ効率が悪いだけ。

立場がその程度でそれだけの時間を使うなら、もう上には行けない事を、本人は自覚していないだけだと感じてしまいます。

休日に一人でずっといて思う事として

これって生きていると言えるのかな。

そう思う事が増えました。

生きながらにして既に死んでいるとも感じ取れますし、もうやりたい事もなければ、私はやり切って生きて来たし、変えられないものの方が多い。

明日もし壊れても、世界が終わっても、たぶん何も思わないでしょう。

それ位に、私の人生はリセットされるまで充実していましたし、フルコミットして走っていました。

頼むから早く終わりが来ればいい

そう思う日が毎日、毎時間あって、でも、最後にいつも言う言葉があります。

大丈夫、もう既に終わっているから。

そう思い込ませて、生きるしかない。

自分をコントロールするしかない。

誰も何も何処にもないのだから。

自分で自分を律する事を、少なくとも命が終わってくれるまでは繰り返していきます。

 

あと少し、そう言い聞かせるのも、大変だ。

 

早く

気付けば1ヶ月半も放置していました。

残念ながらまだ生きています。

早く終わりが来て欲しい

そう何度も思ってきましたが、いよいよそういう考え方でもなくなり始めました。

生きているのか死んでいるのかももうわからない。

自分は何処から来て何処へ向かっているのか。

考えること自体をやめて行っている

それが今のリアルな自分であると感じています。

誰も何も何処にもないのに、どうして生きようとするのか。

それは生物だから。

それ以上でも以下でもない事。

それを少しずつ感じているうちに、文章を書くという本来当たり前の事の様に自分がして来た事すらも出来なくなっていました。

周りを見渡しても何も見つからない

捨てたものが多くて、いつの間にか、あれも捨てたんだな、そう思ったりする事も増えました。

自分の事なのにもう他人の事の様に感じる事が増え、何か失敗してもどことなく、ふわふわしている自分がいる。

常々思うのは、一度壊れたらもう元には戻らないというのが現実だという事でした。

大好きな作家である東野圭吾さんが亡くなられた事

人はいつか終わりが来る、それは誰もが当たり前の様に受け入れるべきことである。

そうは言っても、いつまでも作品として、あなたはきっと生きていらっしゃるのだと感じています。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

これが書きたかっただけ。

その為に、久しぶりにこうして書き出したまででした。

毎日を生きる事。

それは当たり前の事ではない事。

 

忘れないようにしましょう。

 

眠れない夜に

また不眠症が酷くなっていて、どんどんストレスが溜まっているのを感じます。

不快に感じる事が増え、如何に人が醜いかを感じる日々が続いています。

眠れない夜に

今感じている事がいくつかあって、

  1. 感謝
  2. 好意
  3. 愛情

この3つに分類できると考えています。

誰が為に、そう言って生きて来たのに、結局はテイカーしか周りにいなかった事、そして、ギバーに出会えなかった事、振り返ってみて思う事が多々あります。

①自分がいくら感謝しても人からは感謝されていない事

先日の父の日に、両親を食事に連れて行って、それなりに食べたいと言っていたものを食べてもらったのですが。

私も出来るだけ両親にしてあげたい、そう思って、無いお金を絞り出して、食事に行ったのですが。

少しずつ、父も母も、私が今は仕事をしている事に安心し、お金を使ってもらっても問題が無いと感じている事に気付きました。

1度の3人の食事でかかったお金は、私の半月の食費より高いのに。

いつもなら別れた後に来る連絡は今回はありませんでした。

別に、私が何かして欲しいわけではないし、求めすぎているだけかもしれませんが、少しずつ、当たり前になっているだけのことかもしれませんが。

1つの連絡があって欲しかった、そう感じました。

②人から向けられる感情はいつも畏怖なのかもしれないと思ってしまった事

職場での人間関係然り、お客様とのやり取りの中で、実はここ最近、不満のご意見を頂くことが増えています。

かつての仕事でも、私は一定数の人から嫌われたり、嫌がらせを受ける事が多々あって、それもまた私のせいだと思い、出来るだけ早くその場を去る様にして来ました。

面白い位に、私は人のカンに障り易いのかもしれません。

昔から、何かしらの標的にされる事が多く、誰も助けてくれず、それなら、私から誰ともかかわらない様にしよう、そう思った経験から、今の私があるとも感じています。

環境は人を形成するもので、避ける様にして生きてきた私は、何処にも居場所が無い事を、小さいころから知っていて。

唯一、私を受け入れてくれた人たちから、事あるごとにこの世を去っていく。

今思えば、やさし過ぎる人たちから、この世を去っていくのは、きっと、この世の中の普通が間違っているからではないかと感じる程になりました。

③愛情を感じる事も無くなった今、私は私であってもう私ではない

誰からも愛されない、誰からも必要とされていない。

利用されているだけで、うわべだけの付き合いであって、表面上の仕事のためのものであって、そこには本質的な愛情は存在しない。

それが今の世界だと、私は理解しているのかもしれません。

誰かに好かれたい、承認欲求を満たしたい、そういうものって、小さい頃に備わって、それがどんどん膨らんでいく傾向にあるのだと知り、私はきっと、生きていく上で、人に恵まれなかった。

それだけは、今の自分の周りに、誰も残っていなくて、助けてとも言えなくて、ほんの少しでも一緒に過ごしたいと思える人がいない事が物語っています。

目を瞑って、思い浮かぶのは、直近でこの世を去ってしまった実家にいてくれたネコさんでしょう。

他には誰も、何も、何処にも、思い当たるものが無くて。

諦めている自分がいます。

価値のない存在である事を理解して眠らないのも一つの手

睡眠をとらなければ、身体に異常をきたしていくのであれば、今の状態を繰り返せば、少なくとも早くこの世を去れる。

そう考えると、眠らないというのも、私にとっては良い選択肢とも感じられます。

1日でも早く、この世から消えて。

出来るなら、何もなかったかのように。

ちゃんと処理をして。

1つ1つ、私は今、終活をしていっています。

連絡先もどんどん消していき、今年が終わるころには、だいたい片が付くでしょう。

気付けば、来年には同い年の人なら40歳を迎える節目。

そう考えると、こうして処理をしているのは、きっと私だけではないのかもしれません。

人生に絶望している人の中には、私と違って、守らなければならない義務が存在する人もいるはず。

あなたが選んだ選択肢で生まれた命を、責任をもって、独り立ちさせる事だけはすべきです。

好きで産まれたわけではない。

それがわかっているはずなのに。

なぜ、人は、自分自身の事だけを考えて生きているのでしょうね。

気持ち悪いです。

私はねこになりたい。

でも、きっと来世も、あの世という存在も、本当は無いという事もわかっているから。

たった一度の人生、悔い様が、恵まれ様が、それっきりです。

諦めて、受け入れて、選択して、終わりを待ちましょう。

全てに意味はないのですから。

誰かの死は、思っているよりも簡単に風化していってしまうもの。

誰かの心に存在できるという言葉を過去は信じていましたが、それもまた、ただの偶像にすぎません。

そう、人間は、本当に、気持ち悪い生き物です。

早く、滅びる日が来ればいいですね。