本日は父の日
いつもありがとう、父さん。
私は毎年必ず父の日を両親と過ごしている。
今日は午後からの天気や日曜である事も考慮して、ランチを食べに両親を連れだした。
ブログを書いている時間帯には案の定、にわか雨に近い集中豪雨になっている。
思い出の味であるフォルクスで黒毛和牛の一番高いお肉をオーダーする父
ランチタイムにもかかわらず、バッチリ一番高いお肉をオーダーする辺りが、何とも親父らしい。(笑)
母と私はランチのハンバーグにして、父さんには盛大に一番良いものを食べてもらった。
鉄板で到着した肉を一口食べると、本当に満足そうに喜んで食べてくれているのが伝わって来て、とても幸せな時間だった。
食べ放題のサラダやパン、スープを平らげて、大満足した様子だった。
姉と弟は忙しい様で今回は別々で感謝を贈る形に
普段は出来るだけ日程を合わせて、こうした祝い事には家族で集まって来たが、そろそろそうもいかなくなって来た。
姉には甥がいて、私の父は祖父に当たるわけで、父の日ではなく、敬老の日となるわけだ。
弟は事業が忙しい様で、なかなか集まれなくなって来ている。
今日のランチ時に、父も、
そろそろそれぞれの時間を大事にする時期なのだと思う、
と、少し寂しそうに、今後は無理強いする事無く、それぞれの時間を過ごして欲しいと言われた。
子がいてこそ感謝される父の日
忘れてはならないのは、父の日は特性上、子がいてこそ成り立つものだ。
今後、更に時が進み、本当の意味でひとりぼっちになった時に、私も父の日に何かする事は無くなるのだろう。
きっと、独身で一人暮らし、実家とも疎遠なら、この父の日の事は世間様のもので、自らには関係なくなっている状態の人も多いと思う。
私はきっと、なんだかんだと言って、父の日になれば、何かしら動こうと思う。
私の父は、父しかいないのだから。
父からすれば、姉や弟がいても、私からすれば、父はひとりしかいないのだから。
父に支えられ、助けられ、私は生きて来たと思う。
何度も足を踏み外して、それでも、今こうして時を共に出来ている関係だからこそ、私の感謝は今後も続く。
遠方であったり仕事だった人たちはせめて何かありがとうを贈ってみては
電話でも良い、ラインでも良い、贈り物でも良い。
何かしら、今生きてくれている間に、感謝の気持ちを伝えておいても良いのではないか。
人はずっといてくれる訳ではないのだから。
存在してくれている間に、やれる事はやっておこう。
いつまでそこにいてくれるかはわからないから
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本日の音楽は、“スピッツ”の“楓”。
忘れはしないよ
時が流れても
いたずらなやりとりや心のトゲさえも
君が笑えばもう小さく丸くなっていたこと
そんな感じ。
瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聴こえる?
そう思う。
聴こえているかどうかは、あなたが決める事だ。
私は色んな意味で胸にそっとしまっておく。
てなわけで、今日はこの辺りで。
ほな、また。