タカボーのボッチライフ 独身男性の気ままな日常ブログ

何度も何度もやり直すタカボーの独りぼっち独身男性の気ままな日常の中で目に付いたものを毎日23時に更新していきます!

眠れない夜に

また不眠症が酷くなっていて、どんどんストレスが溜まっているのを感じます。

不快に感じる事が増え、如何に人が醜いかを感じる日々が続いています。

眠れない夜に

今感じている事がいくつかあって、

  1. 感謝
  2. 好意
  3. 愛情

この3つに分類できると考えています。

誰が為に、そう言って生きて来たのに、結局はテイカーしか周りにいなかった事、そして、ギバーに出会えなかった事、振り返ってみて思う事が多々あります。

①自分がいくら感謝しても人からは感謝されていない事

先日の父の日に、両親を食事に連れて行って、それなりに食べたいと言っていたものを食べてもらったのですが。

私も出来るだけ両親にしてあげたい、そう思って、無いお金を絞り出して、食事に行ったのですが。

少しずつ、父も母も、私が今は仕事をしている事に安心し、お金を使ってもらっても問題が無いと感じている事に気付きました。

1度の3人の食事でかかったお金は、私の半月の食費より高いのに。

いつもなら別れた後に来る連絡は今回はありませんでした。

別に、私が何かして欲しいわけではないし、求めすぎているだけかもしれませんが、少しずつ、当たり前になっているだけのことかもしれませんが。

1つの連絡があって欲しかった、そう感じました。

②人から向けられる感情はいつも畏怖なのかもしれないと思ってしまった事

職場での人間関係然り、お客様とのやり取りの中で、実はここ最近、不満のご意見を頂くことが増えています。

かつての仕事でも、私は一定数の人から嫌われたり、嫌がらせを受ける事が多々あって、それもまた私のせいだと思い、出来るだけ早くその場を去る様にして来ました。

面白い位に、私は人のカンに障り易いのかもしれません。

昔から、何かしらの標的にされる事が多く、誰も助けてくれず、それなら、私から誰ともかかわらない様にしよう、そう思った経験から、今の私があるとも感じています。

環境は人を形成するもので、避ける様にして生きてきた私は、何処にも居場所が無い事を、小さいころから知っていて。

唯一、私を受け入れてくれた人たちから、事あるごとにこの世を去っていく。

今思えば、やさし過ぎる人たちから、この世を去っていくのは、きっと、この世の中の普通が間違っているからではないかと感じる程になりました。

③愛情を感じる事も無くなった今、私は私であってもう私ではない

誰からも愛されない、誰からも必要とされていない。

利用されているだけで、うわべだけの付き合いであって、表面上の仕事のためのものであって、そこには本質的な愛情は存在しない。

それが今の世界だと、私は理解しているのかもしれません。

誰かに好かれたい、承認欲求を満たしたい、そういうものって、小さい頃に備わって、それがどんどん膨らんでいく傾向にあるのだと知り、私はきっと、生きていく上で、人に恵まれなかった。

それだけは、今の自分の周りに、誰も残っていなくて、助けてとも言えなくて、ほんの少しでも一緒に過ごしたいと思える人がいない事が物語っています。

目を瞑って、思い浮かぶのは、直近でこの世を去ってしまった実家にいてくれたネコさんでしょう。

他には誰も、何も、何処にも、思い当たるものが無くて。

諦めている自分がいます。

価値のない存在である事を理解して眠らないのも一つの手

睡眠をとらなければ、身体に異常をきたしていくのであれば、今の状態を繰り返せば、少なくとも早くこの世を去れる。

そう考えると、眠らないというのも、私にとっては良い選択肢とも感じられます。

1日でも早く、この世から消えて。

出来るなら、何もなかったかのように。

ちゃんと処理をして。

1つ1つ、私は今、終活をしていっています。

連絡先もどんどん消していき、今年が終わるころには、だいたい片が付くでしょう。

気付けば、来年には同い年の人なら40歳を迎える節目。

そう考えると、こうして処理をしているのは、きっと私だけではないのかもしれません。

人生に絶望している人の中には、私と違って、守らなければならない義務が存在する人もいるはず。

あなたが選んだ選択肢で生まれた命を、責任をもって、独り立ちさせる事だけはすべきです。

好きで産まれたわけではない。

それがわかっているはずなのに。

なぜ、人は、自分自身の事だけを考えて生きているのでしょうね。

気持ち悪いです。

私はねこになりたい。

でも、きっと来世も、あの世という存在も、本当は無いという事もわかっているから。

たった一度の人生、悔い様が、恵まれ様が、それっきりです。

諦めて、受け入れて、選択して、終わりを待ちましょう。

全てに意味はないのですから。

誰かの死は、思っているよりも簡単に風化していってしまうもの。

誰かの心に存在できるという言葉を過去は信じていましたが、それもまた、ただの偶像にすぎません。

そう、人間は、本当に、気持ち悪い生き物です。

早く、滅びる日が来ればいいですね。

 

独りごと

眠れない毎日が続いていて、久しぶりに吐き出します。

もう生きていても意味を感じないのになんなんでしょうか。

なにをするのももう無理をしているとわかっていて。

息をするのも面倒で、興味もなくなっていて。

裏で何を言っているのかわからないとでも思っているのかと人を疑う頭の中。

最近増えた地元の人身事故のたびに思うのが、死ぬなら一人で勝手に死ねと思うし、反対によくもまあこれだけ最後の最後で大多数に迷惑をかける死に方しかなかったのかと感じる日々。

何を食べても味がしないし、何をしていても気持ちが晴れない。

目標もないし、元々の自分ももうわからないし、それもまたどうでもいい。

早く世界が終わればいいけれど、苦しんで苦しんでやっと無になっても、それはきっとわからないんだろうと。

それもまた空しいだけなんだと。

人それぞれに価値観はあるけれど、私は少なくとももういい。

とりあえず出来るのは、なんだろう、そう繰り返している間にまた朝を迎えて。

それを繰り返して、そして、終わりが来ればいい。

本当にやりたい事。

それをやってみて、何も得られなくて、そして、守るものもないもの。

それって、存在している意味あるんですか。

ストレス発散の仕方も、もうわからないから、当たり前の様にまたうつ病になっていっているのがわかっていても。

もう、それもまたどうでもいい。

脳が死にたいと言っていても、私の自我にはもう響かない。

もっと違う。

死にたいんじゃない。

なにもなかったことにしたい。

存在してはいけなかっただけ。

結果論。

私は誰でもない。

私は存在していない。

私はなにもない。

消えたいのではなく、消したい。

抹消したい。

自分が産声を上げる前に、自分という存在が創造される前に、私は私を消したい。

 

自分の寿命を誰かにあげられたらいいのに

大切な人を失い、長い時間独りで過ごし続けて、いつの間にか倍以上の時間が経過した時、誰もが思うであろうこと。

自分の寿命を誰かにあげられたらいいのに

独りで過ごす人生の半世紀よりも、きっと、大事な人と過ごす四半世紀の方が楽しい。

それだけでなく、もっともっと、大事な人の笑顔が仕草が、人生を豊かにしてくれる。

何もしなくていいからそばにいて欲しい。

そう思える位の存在であれば、きっと、自分の命なんてどうでもいいのではないか。

早く死にたいと思っている人ほど死ねないのかもしれない

誰かが言っていた。

人は思う事によってそれを成し遂げると。

けれど、私は思う。

ネガティブなエネルギーに対して、人間は真逆に作用するものではないかと。

ポジティブな考え方であれば、思えば思う程活力が湧き、その思い描く力が活動を招き、結果を見出し、成就に繋がる。

けれど、大半は、悪く考えれば考える程にドツボにハマって、叶う事はない。

この世の中は必要な人ほど早く終わる世界ではないか

必要とされている人ほど、短命で、若くしてその生を終えている。

不必要な存在ほど、無意味な時間を過ごし、怠惰になり、抗い、無駄を生んでいる。

寿命がお金になる世界が過去の映画にもあったけれど、そうした不要な存在こそ、寿命をお金に換えて、お金が無くて叶わない事などない事を知れば、きっと生きたいと思うのではないだろうか。

私は逆に若いころにお金を持った経験があるから、やりたい事は全てチャレンジした。

うまくいったことはなかったが、それでも、お金が問題ではない事をその時に知った。

でも、大半の人は、お金がないという理由で諦めている事が多い。

だから、寿命を売れる世界線なら、もっと何かを見出せるのかもしれない。

自分の命と引き換えにしても生きて欲しい

それ位に誰かを思えている事に私は感謝している。

振り向けば君がいて、また何気なく笑いかけてくれる。

そんな世界線があるなら、私は今の世界なんていらない。

誰も、何も、何処にも、今の世界にはないから。

無意味な時間を過ごしていく。

でも、本当は、人間の存在に意味はない。

むしろ害でしかない。

だから、私が早く死ぬべきだと考えている事も、本当は間違ってはいないと思う。

当たり前の様に、人間のDNAを越えてまで生きる今の世界がおかしいのだから。

人生100年時代と言われて久しいけれど、そこまで生きて、何がしたいのか、私にはわからない。

健康でいて欲しいと誰かに本当に思える事なんて、DNAに刻まれた38歳までの本来の人間の寿命の間だけの話だ。

それ以上を生きるという事は、害でしかない。

政治家を見て常々思う事はいつまでそこにいる?

いつまで老害に政治を任せる?

いつまで居座り続ける?

いつまで誰かに任せる?

むしろ、いつまでそうやって誰かに寄りかかって生きている?

医療技術の発達によって、人間は長く生きる事が当たり前になりつつあるけれど、間違いなく、害でしかない。

価値のないゴミは早く、自らに終わりを定め、他人に迷惑をかけないところで、ひっそりと終わりを迎えて行くべきではないだろうか。

せっかく、終活が叫ばれ、掃除屋も増え、後処理をすべて任せる事が出来る形が出来上がっているのだから。

可能な限り、早く区切りを付け、終わりを迎える事をオススメしたい。

そして、必要な人が、もっと、思う事を成就できる世界へ変わっていく事を切に願う。