タカボーのボッチライフ 独身男性の気ままな日常ブログ

何度も何度もやり直すタカボーの独りぼっち独身男性の気ままな日常の中で目に付いたものを毎日23時に更新していきます!

餃子の王将さんが2日間限定でクーポンを配布しているらしい

餃子の王将

京都の人なら聞いただけでお腹が空くワードかもしれない。

京都四条大宮で創業し、今では全国規模で名を轟かせている餃子の王将

実家では父がかなり好きで、一時はテイクアウトで買ってくるほどのお気に入りだった。

早い、安い、旨い、この3拍子が揃わないと商売はうまくいかない。

そんな法則をある種人々に植え込んだとも言える程、その代名詞である餃子は、3拍子揃っている。

今日と明日だけ今後使える限定クーポンが先着順で配られる

会計500円毎に、時期は限られるが後日使える250円OFFのクーポンがもらえる。

このご時世でありがたい話だ。

ひとりぼっちにも強い味方であり、一人暮らしなら尚更の事、栄養価の高い中華料理は食べたいものだ。

私が餃子の王将で頼むメニューでも最も大好きなものが、ニラレバだ。

自宅ではなかなか食卓に並べる事が少ないレバーを食べられるのは勿論、野菜が豊富で、栄養価が非常に高い。

しかし、残念なことに私が愛した近所の王将さんは閉店している

チェーン店なのに、そのお店独自のメニューがあったりするのも餃子の王将の良い所であり、お店によって雰囲気が異なる。

私の家から最も近い位置にあった王将は、残念ながら昨年度閉店してしまった。

すごく好きで、まだ仕事もしていたから、1ヶ月に一度はそこでご飯を食べていた。

他の店舗と違い、何処か実家に帰って来たような感覚になれる、そんなあたたかさのあるお店だった。

そのお店が無くなると、途端に行かなくなっていた餃子の王将だが、最近少しだけ離れた位置に店舗がある事を知り、そちらに行こうと思っている。

最大で餃子何人前迄食べられるか?

若かりし頃は、悪友たちとよく、餃子の大食い競争をしていた場所でもある。

ちなみに私の最大記録は8人前だった。

パンチの効いたニンニク餃子は、実は私は食べ過ぎると下痢の原因になる。

昔ほど胃腸が大丈夫では無い分、今は出来るだけ餃子は1人前までに抑えて食べる様にしている。

久し振りに餃子とニラレバを食べて、ゆっくりしてこようと思う。

こうやって思い出も蘇らせてくれる餃子の王将にありがとう

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本日の音楽は、“いきものがかり”から“ありがとう”。

ありがとうって伝えたくて

あなたを見つめるけど

繋がれた右手は誰よりも優しく

ほら この声を受け止めている

そんな感じ。

ケンカした日も 泣き合った日も

それぞれ彩咲かせて

真っ白な心に

描かれた未来を

まだ書き足して行くんだ

それでいいんじゃないか?

てなわけで、今日はこの辺りで。

ほな、また。

気を失っていた様だ

日中起こった意識乖離

気付いたらノートパソコンに顔が張り付いていた。(笑)

いつもの様にいくつかのブログを更新し、さらに次のブログを書こうとした所までは記憶にあるが、気付けば4時間ほど気を失っていた。

久し振りに起こったてんかんに近い症状に冷や汗が止まらなかった。

誰にも気づかれないまま死ぬ

私の様なひとりぼっちなら、全然あり得る事だと思う。

人は急に死ぬ。

それは否定できない事実だから、仕方がない。

ただ、少しでも前兆の様なものを感じ取ったら、自ら意識した方が良い事は言うまでもない。

死後の処理は誰もが誰かしらに迷惑をかける

だから、気にするなとは言えないから、自分自身で処理できるものはしておいた方が良いのだろう。

私も少し、今日の様な事がまた続くようなら、少しずつ終活も始めて行こうと思う。

私の場合は、洋服がメインになるけれど、大掛かりな家具なども、早めに処理を進めておこうと思う。

今日は敢えて、音楽は無い。

私の頭が回っていないからだ。

見に来てくださった方がいたとしたら申し訳ないが、こんな日もある事を許して欲しい。

ほな、また。

どう捉えるかは己次第である

どう捉えるかは己次第

ポジティブにもネガティブにもなる。

1つの事例が起こった時にどう捉えられるかによって、その人の本質が見えて来る。

悲観的な対応を続ける事は、精神衛生上よくないとわかりつつも、人はそれを繰り返す。

怒りのままに行動する、感情を持った生き物だからだ。

言語を介するまでの間、力づくで何もかもを奪って来たからだ。

意味を求めようとするのが人の悪い癖だ

私を含めてこの議題に立ち向かって、危うく精神を崩壊しそうになった人もいるだろう。

ハッキリ言って、今の私は、意味を求めない様にしている。

意識していないと突然足元をすくわれそうになるが。

受け取り方の面でも、これは意味があるとか、そうした風に当初は取っていた。

自分の人生に意味を求めていた。

でも、本当は意味なんてない。

自分で自分を追い込む事に繋がる。

行った先のお店が休店日

果たして、皆はどう取るだろうか。

悪態をつくだろうか。

調べておかなかった自分を呪うだろうか。

いずれにしても、そこに意味を求めていると思う。

けれど、実際の所は、大した問題ではない。

閉まっているのか、なら他のお店に行こう。

そう簡単に捉える事が出来ないのが人間だ。

既にこういった事を言っている時点で、私もまだまだ意味に囚われていると自覚する。

気を付けて行こう。

意味を求めなくなればきっと捉え方は変わる

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本日の音楽は、“ラルクアンシェル”の“自由への招待”。

暴走への誘惑

渋滞にて最悪

抑えてる状態

自由への招待

そんな感じ。

でも願う

今日こそは狙いを定め

隙間を抜けて

笑顔の彼方へ

それでいいんじゃないか?

てなわけで、今日はこの辺りで。

ほな、また。