古傷を舐め合う関係性はやめた方が良い
愚痴を聴くだけの関係性なら何のメリットもない。
これは、当時の自分に対して言いたい事だ。
誰かの悩みをひたすら聴いたり、時間を割いて生きていた。
お互いはまるで成長する事無く、結果的に気持ちよくなっているだけだという事に気付くまでに時間を要した。
互いを高め合えない関係性は早く捨てた方が良い
これは、時間にシビアにならざるを得なくなった人は勿論だが、時間を持て余している人にも言える事だ。
予定が無いから会って、ただ話をして、お酒を飲んで、ご飯を食べて。
時間もお金も無くしていくだけで、精神的変化は実際の所そこまで存在しない。
そんなものに時間を割くのなら、英単語の1つでも覚えた方がマシでかもしれない。
相談する事と、高め合う事は違う。
意見のぶつかり合いが無ければ、ただそこに肯定が欲しいだけの承認欲求を満たす為の時間に変わっていく。
過去に私が時間を共にしてもらった人達の大多数に対して、私は今謝りたい。
今の私を見ればわかるが、その時間が経済的にも精神的にも、徒労に終わってしまった。
本当に申し訳なく思っている。
結局身内での傷の舐め合いは意味がない
古い繋がりであればある程に、傷つけまいと大してよくも思っていなくても、理解しようと努力するものだ。
本当に悩んでいるとしたら、SNS等を駆使して、社会に説いて見ればわかる話だ。
求められていれば反応がある。
そうでなければ容赦なく何の反応もない。
その事に気付くまでに人は絶大な時間を要する。
だから思う。
古傷の舐め合いは何も生まない。
そんな関係性はお互いによくないからこそ、早めに去る事が大切だ。
自らの非力を呪う気持ちは消えないけれど。
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あの青ざめた海の彼方で
今正に誰かが傷んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
そんな感じ。
失うものを失ってなお
人はまだ誰かの指にすがる
柔らかな皮膚しかない理由は
人が人の痛みを聴く為だ
そういうことさ。
抜け出せないから遮断するしかない。
何処までも切っても切れない関係性は存在するものかもしれない。
けれど、それでも、勇気をもって、前に進む為にも、古い人間関係程切っておいた方が良いものは無い。
銀の龍の背に乗って、私は遠くへ向かっている。
更に遠くへ。
そう感じている。
てなわけで、今日はこの辺りで。
ほな、また。