自分がしたい事を続けるのは本当に好きでないと出来ない
世間様は好きな事なら続けられるというけれど。
実際に好きな事ばかりしていても、人間は進歩がないと続ける事は出来ない。
それは、承認欲求の為なのか、それとも、金銭的欲求との兼ね合いなのか、時間的兼ね合いなのか。
でも、一番大切な事は何が原動力となっているかだと感じる今日この頃。
例えばお金の為にやっていたとしたら
収支ばかりが気になってくるだろう。
在庫を持っていたら、それすらも気がかりになるだろう。
明日の支払いの事を考えて夜眠れない日も続くだろう。
お金というものを原動力にしている限りは、きっと、それは本当の意味で好きなものではないと、私は思っている。
例えば誰かに認められたいという承認欲求であったとしたら
SNSなどのいいねの数や反応に過敏になるだろう。
自分がしている事に自身が持てなくなって行くだろう。
自分が何者でもないという事を知り落胆する事になるだろう。
承認欲求を満たす為に自分の好きを利用する事は精神衛生上良くない事を私は過去に経験している。
例えば時間を得る為であったとしたら
これが一番本末転倒だ。
よく言われる、時間を有効活用するとか、自分がしたい事なら時間はいくらでもかけられる、だから大丈夫という意見がある。
時間というものは誰もが平等に持っている。
そして、それを覆す事は出来ない。
環境を変えようが、時間整理をしようが、24時間という時間は変わらない。
福利の効果といって投資を進めている人がいるが、今が精一杯の人が多い上で、結果的に好きな時間を作ってどう過ごすかという点において、独り身とは縁が遠いと感じ始めている。
誰の為でも無く自分が本当に没頭する事を見付けられる人は少ない
私が思うのは、誰が何と言おうが、自分自身がどうしたいかという事。
考える余地もなくそれをしていて時間の経過を感じないものが持てる人なんて、きっとほんの一握りだと感じている。
だからこそ、他人に矢印を向けて、あたかも誰かの為にやっているからとか、お金になるからとか、時間が生まれるからとか理由付けをする必要がある。
けれど、本質的な事を言えば、どれも精神的に不衛生である事を覚えておいて欲しい。
結局は、自らの体調次第で本当に好きな事でも行動できない日がやって来る。
それを忘れずに、残り時間を何に使いたいかを考える時間を作る事が有効だ。
強くなれる理由は未だにわからない
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本日の音楽は、“LiSA”さんの“紅蓮華”。
強くなれる理由を知った
僕を連れて進め
変わって行けるのは自分自身だけ
そんな感じ。
世界に打ちのめされて
負ける意味を知った
それでいいんじゃないか?
誰かの為に強くなれるのはひとりじゃないから。
間違っても、ぼっちにとって大事な事は、自分自身である事を忘れずに。
ほな、また。