タカボーのボッチライフ 独身男性の気ままな日常ブログ

何度も何度もやり直すタカボーの独りぼっち独身男性の気ままな日常の中で目に付いたものを毎日23時に更新していきます!

人気があるかないかで打ち切りになったりするけれどきっと物語は続いて行く

経済においては数字的実績だけが重要視される

要は結果が全てだ。

過去、私もバリバリの仕事人間だったから、この考え方に異論は全くない。

数字が取れなければ意味がない。

売上というものはお客様からの評価の大きさであり、必要とされないものは存続する事は出来ない。

例え、これからまだ発展する可能性を秘めているとしても、与えられた期間内でチャンスを掴めなければ未来は無い。

人気があるかないかで打ち切りになる漫画が増えている

この現象は別段漫画だけではなく、企業は勿論、1人の個人に対しても言う事が出来ると私は考えている。

需要が無い所に供給は無い。

それが経済的観点から見た時に覆しようのない事実として浮き上がる。

SNSなどでフォロワーが増えなくなったりする事も同様で、要は何が言いたいかというと。

応援されなくなった。

そう言う事だ。

支持率が下がっているにもかかわらず、現内閣は突き進んでいるのもおかしい話だけれど。(笑)

個人の主張で言えば、打ち切りになったからと言っても物語を続ければいい

これはあくまでも経済的な観点ではなく、その個人に対して思う事だ。

経済や仕事としてではなく、自らの物語を自らが続ける事は出来るはずだから。

私も作詞や小説を書いている。

昔は応募しようという勢いがあった時期もあったが、今は趣味として継続している。

皆、お金に変える為に何かを残そうとし過ぎているのかもしれない

そう思う私がおかしいのかもしれないけれど。

沢山の人に共有したいという気持ちの方が強い=出版や販売をしてお金に変換。

この流れにハマって行っていないかというのが、今のアートや創作、カルチャーに対して私は非常に強く感じている。

それが正しいのかもしれないけれど、私は誰かの評価よりも、自分自身の為に何事もやっている。

大勢の人に響かなくてもいいし、私が自分で見返す事が出来るのがメインで、一部の人だけが共感してくれるものになれば尚良いとは思っても、それが目的ではない。

作家さんやアーティストの方も、お金への不安が強くなり過ぎていないだろうか。

人気取りを目的にしているものは、きっと、いつか、自分自身を振り返った時に、後悔に繋がるのではないだろうか。

本当に描きたかったものとは違う世界を、人は何故生み出し続けるのだろう。

何度でも何度だっていく すべてが重なって行く為に

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本日の音楽は、“アイナジエンド”より“キリエ”。

世界はどこにもないよ

だけどいまここを歩くんだ

希望とか見当たらない

そんな感じ。

何度でも

何度だっていく

すべてが重なっていくために

それでいいんじゃないか?

だって、私たちは少なからず、何処かで繋がっている。

何処かで重なっている。

だから、ひとりぼっちでもひとりじゃない。

それを忘れないで欲しいし、あなたの物語はあなたにしか描けない。

最高の終わり方を考えた上で、逆算して生きてみると、きっと前が開けると私は思っている。

てなわけで、今日はこの辺りで。

ほな、また。

36歳になると人の誕生日を祝い辛くなって来た

36歳になると人の誕生日を祝い辛くなって来た

以前はあれだけ誰かの誕生日を祝う事が何より幸せだったのに。

人間はいつか必ず死ぬ。

昨今、私が愛している音楽業界では、私が影響を受けて来た人達が立て続けに亡くなっている。

私も36歳。

祖父が亡くなったのが72歳だったから、ちょうど半分という年齢に来ていると感じ始めて、先日母の誕生日を祝っている時に違和感を感じ始めた。

誕生日を祝う毎に近付いてくる終わりの時間

当り前の事だとわかってはいながらも、実感が湧き始めて来るのが、30代半ば頃からだ。

そう言われていたが、本当の事だというのを肌身で感じ始めている。

少なくとも、私の周りでは、特に大切な人たちが若くして亡くなっている。

だから、誕生日が来てくれる度に、また1年一緒にいれた事を心の底から喜び、祝福し、また来年もこうして祝えます様に、そう心を込めて来た。

それが、徐々に、徐々に、私の心を削っていた事に、今更気付いて来た。

何処かいつか終わりが来る事を受け入れられずにいたから

きっと、中には早く終わって欲しいと感じている人もいるだろうし、私も自分自身に関してはそう思っているタイプだから、否定は出来ない。

ただ、何処か、自分が大切に思っている人だけは、その人の終わりだけは来て欲しくない、そう思う様になって来た。

精神崩壊してから4年以上が経過し、今5年目を迎えている訳だけれど、今の私は、過去の私と違い、ほとんど人間関係が無くなっている。

人は接点無しには、関係性を継続出来ない。

リセットボタンを押してしまったら、簡単には戻る事は出来ない。

いつの間にか、今の私は、家族を除くと、片手で数える人しか、もう大切な人はいない。

それもあって、昔ほど、誰かの誕生日を祝う機会は減った。

今の私は、いつか誰もが関係性を無くしていく事を理解しつつある。

親友と呼んでいたかつての仲間たちは、もう誰も残っていない。

あれだけ時間を共にしても、環境の変化という中で、人との繋がりは簡単に切れて行くものだ。

人はいつか忘れられていく

歴史に名を残す様な事をしない限り、間違いなく消滅していく。

こうして書いたブログも、きっと未来永劫残る事は出来ない。

何もかもを失っていくし、あの世には何も持って行けない。

それこそ、誰かの誕生日なんて、残るはずもない。

生きている間の1つの楽しみでしかないのかもしれない。

そして、いつかきっと、私の様に、誰かの誕生日を祝う事が出来なくなる人が増えて行くだろう。

自分で祝ってくださいと言わない限りは。

本当に祝って欲しい人にはもう祝ってもらえないから

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本日の音楽は、“back number”より、“HAPPY BIRTHDAY”。

着信の音で飛び起きたけど損したな

君かと思ったのに

そんな感じ。

つまらない言葉の繰り返しで

つじつまもきっと合ってない物語の続きに

ひとりよがりの毎日に

ハッピーバースデー

君に言って欲しいだけ

それでいいんじゃないか?

一番大事な人にだけ祝ってもらえたら、それでいいんじゃないか?

むしろ、祝われたくない奴に祝われても困るだけだと、今更気付いた自分がいた。

ひとりよがりの人生に

ハッピーエンド

来るはずもないさ

てなわけで、今日はこの辺りで。

ほな、また。

自分がしたい事を続けるのは本当に好きでないと出来ない

自分がしたい事を続けるのは本当に好きでないと出来ない

世間様は好きな事なら続けられるというけれど。

実際に好きな事ばかりしていても、人間は進歩がないと続ける事は出来ない。

それは、承認欲求の為なのか、それとも、金銭的欲求との兼ね合いなのか、時間的兼ね合いなのか。

でも、一番大切な事は何が原動力となっているかだと感じる今日この頃。

例えばお金の為にやっていたとしたら

収支ばかりが気になってくるだろう。

在庫を持っていたら、それすらも気がかりになるだろう。

明日の支払いの事を考えて夜眠れない日も続くだろう。

お金というものを原動力にしている限りは、きっと、それは本当の意味で好きなものではないと、私は思っている。

例えば誰かに認められたいという承認欲求であったとしたら

SNSなどのいいねの数や反応に過敏になるだろう。

自分がしている事に自身が持てなくなって行くだろう。

自分が何者でもないという事を知り落胆する事になるだろう。

承認欲求を満たす為に自分の好きを利用する事は精神衛生上良くない事を私は過去に経験している。

例えば時間を得る為であったとしたら

これが一番本末転倒だ。

よく言われる、時間を有効活用するとか、自分がしたい事なら時間はいくらでもかけられる、だから大丈夫という意見がある。

時間というものは誰もが平等に持っている。

そして、それを覆す事は出来ない。

環境を変えようが、時間整理をしようが、24時間という時間は変わらない。

福利の効果といって投資を進めている人がいるが、今が精一杯の人が多い上で、結果的に好きな時間を作ってどう過ごすかという点において、独り身とは縁が遠いと感じ始めている。

誰の為でも無く自分が本当に没頭する事を見付けられる人は少ない

私が思うのは、誰が何と言おうが、自分自身がどうしたいかという事。

考える余地もなくそれをしていて時間の経過を感じないものが持てる人なんて、きっとほんの一握りだと感じている。

だからこそ、他人に矢印を向けて、あたかも誰かの為にやっているからとか、お金になるからとか、時間が生まれるからとか理由付けをする必要がある。

けれど、本質的な事を言えば、どれも精神的に不衛生である事を覚えておいて欲しい。

結局は、自らの体調次第で本当に好きな事でも行動できない日がやって来る。

それを忘れずに、残り時間を何に使いたいかを考える時間を作る事が有効だ。

強くなれる理由は未だにわからない

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本日の音楽は、“LiSA”さんの“紅蓮華”。

強くなれる理由を知った

僕を連れて進め

変わって行けるのは自分自身だけ

そんな感じ。

世界に打ちのめされて

負ける意味を知った

それでいいんじゃないか?

誰かの為に強くなれるのはひとりじゃないから。

間違っても、ぼっちにとって大事な事は、自分自身である事を忘れずに。

ほな、また。