経済においては数字的実績だけが重要視される
要は結果が全てだ。
過去、私もバリバリの仕事人間だったから、この考え方に異論は全くない。
数字が取れなければ意味がない。
売上というものはお客様からの評価の大きさであり、必要とされないものは存続する事は出来ない。
例え、これからまだ発展する可能性を秘めているとしても、与えられた期間内でチャンスを掴めなければ未来は無い。
人気があるかないかで打ち切りになる漫画が増えている
この現象は別段漫画だけではなく、企業は勿論、1人の個人に対しても言う事が出来ると私は考えている。
需要が無い所に供給は無い。
それが経済的観点から見た時に覆しようのない事実として浮き上がる。
SNSなどでフォロワーが増えなくなったりする事も同様で、要は何が言いたいかというと。
応援されなくなった。
そう言う事だ。
支持率が下がっているにもかかわらず、現内閣は突き進んでいるのもおかしい話だけれど。(笑)
個人の主張で言えば、打ち切りになったからと言っても物語を続ければいい
これはあくまでも経済的な観点ではなく、その個人に対して思う事だ。
経済や仕事としてではなく、自らの物語を自らが続ける事は出来るはずだから。
私も作詞や小説を書いている。
昔は応募しようという勢いがあった時期もあったが、今は趣味として継続している。
皆、お金に変える為に何かを残そうとし過ぎているのかもしれない
そう思う私がおかしいのかもしれないけれど。
沢山の人に共有したいという気持ちの方が強い=出版や販売をしてお金に変換。
この流れにハマって行っていないかというのが、今のアートや創作、カルチャーに対して私は非常に強く感じている。
それが正しいのかもしれないけれど、私は誰かの評価よりも、自分自身の為に何事もやっている。
大勢の人に響かなくてもいいし、私が自分で見返す事が出来るのがメインで、一部の人だけが共感してくれるものになれば尚良いとは思っても、それが目的ではない。
作家さんやアーティストの方も、お金への不安が強くなり過ぎていないだろうか。
人気取りを目的にしているものは、きっと、いつか、自分自身を振り返った時に、後悔に繋がるのではないだろうか。
本当に描きたかったものとは違う世界を、人は何故生み出し続けるのだろう。
何度でも何度だっていく すべてが重なって行く為に
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本日の音楽は、“アイナジエンド”より“キリエ”。
世界はどこにもないよ
だけどいまここを歩くんだ
希望とか見当たらない
そんな感じ。
何度でも
何度だっていく
すべてが重なっていくために
それでいいんじゃないか?
だって、私たちは少なからず、何処かで繋がっている。
何処かで重なっている。
だから、ひとりぼっちでもひとりじゃない。
それを忘れないで欲しいし、あなたの物語はあなたにしか描けない。
最高の終わり方を考えた上で、逆算して生きてみると、きっと前が開けると私は思っている。
てなわけで、今日はこの辺りで。
ほな、また。